after half(50を過ぎて…)①

ものこごろついたのが5歳頃とすれば、50代なかばを過ぎたいまは、一番古い記憶は当然約50年前の記憶という事になる。50年。半世紀。いま10歳で約5年間の記憶しか持たない人にとっては、歴史の教科書のような感覚だろうと想像する。僕も、10歳の頃は、10年前は記憶がない昔の話、20年前は想像するのも難しい昔の話と感じていた。

実際にこの年齢になってしまうと、たしかにテクノロジーやガジェットは進化したが、人の本質や人の生活の根本は、そんなに大きく変わっていないような気がする。少なくとも、僕の本質は、はっきり自我が確立したと思える15歳の頃とほとんど変わっていない。10歳から15歳までの5年間で〈自分〉がはっきり形成されたような感覚があり、その感覚は50代後半になったいまも続いている。

ものごころついた時にビデオがあった世代(1980年頃誕生)は、ビデオがない生活は想像もできないかもしれない。ものごころついた時にYouTubeがあった世代(2000年頃誕生)は、YouTubeがない生活は想像もできないかもしれない。1965年に生まれた僕は15歳の頃まで(ものごころついた頃から数えれば約10年間)、家にビデオがない生活を送ってきたが、暇で暇で仕方がない、という事はなかった。

もし1975年の僕が20歳の超貧乏大学生のひとり暮らしで、下宿にテレビもラジオもラジカセもレコードプレイヤーも電話もなく、新聞・雑誌・本・マンガを買う金もなく、図書館で借りて来た本は読んでしまっていて、家族友人知人にいますぐ手紙を書く気も起きず、大雨だから出かけたくない、誰かが遊びに来る予定もない、という状況なら「暇だな〜」と思う可能性は充分にあるが、実際の1975年の僕は、高校教師の父親と専業主婦の母親の長男(妹ふたり)として、札幌の郊外の持ち家に住んでいて、当時としては標準的な生活を送っていた。

4年生になった頃には、はっきり、自分が本を読むのが好きだと自覚していた。両親が本好きだったので、本は月々のこづかいの範囲外で買って貰えたし、父親の書斎には大量の本があったし、学校の図書館や近所の移動図書館で本を借りる事もできた。本を読むだけで充分に暇はつぶせた。

1階で母親と妹たちと一緒に寝ていたのが、2階の4畳半でひとりで寝るようになったのも小4になる頃で、眠たくなるまでベッドで本やマンガを読むようになり、就寝時間はだんだん遅くなっていった。寝る前に毎日聴いていたHBCラジオ「エミ子の長いつきあい」は、いまwikiで調べると、21:40〜21:50放送。ベッドに入って小型のラジオでこの放送を聴きながらウトウトして22:00には就寝が基本パターン。このパターン中1になって自分専用のテレビを買ってからはどんどん崩れていく。

小学生の頃は、放課後はほぼ毎日暗くなるまでは友達と遊んでいた。いまはニュース番組しかやっていない17:00〜19:00の時間帯はテレビまんが(「アニメ」という言葉はまだ一般的ではなかった)の再放送がてんこもりで、19:00〜20:00も各曜日子供向け番組が満載だったし、1年遅れで長嶋茂雄の現役を完全スルーして野球も見始めた。少年ジャンプを毎週買って気に入った作品はコミックスを買って繰り返し読む。ラジカセを買って貰ってレコードをカセットにダビングして繰り返し聞く。話題の番組はリアルタイムで見ないと二度と見られない。宿題や勉強も少しはやって食事もして風呂にも入る。やる事がたくさんあり、特に、テレビやラジオはその時しかないので、ネットやビデオがなくても、全然暇ではなかった。

ネットにコンテンツが無限にあるいま、それを選ぶ行為に膨大な時間を使って、選ぶ行為に疲れて何もしない、という事がよくある。パソコンやスマホの不具合解消やアプデによる環境再構築に数時間かかる事もしばしばある。常に時間を有効に使うという意味では、ビデオさえなかった5歳〜15歳の頃の方が、日々の生活は充実していた気もする。特に、繰り返しになるが、テレビ番組に関しては「これを見るのはいましかない」と思って見ていたので真剣度が全然違っていた気がする。

50代なかばをすぎたいまの心境や身体の変化について語ろうと思ったが、ついつい昔話になってしまった。何を書いても結局昔話になるような気がしないでもない。
今日の所は、とりあえず、この辺で。乱文乱筆失礼。
※2024.04.25木

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