after half(50を過ぎて…)⑩


世に言う〈太陽族映画〉とは「太陽の季節」「狂った果実」「逆光線」「夏の嵐」「処刑の部屋」の5本だけ(小林信彦「コラムは笑う」ちくま文庫 P331から)。
この本も少なくとも3回は読んでいるのに読む度に新鮮。
いったい僕の記憶力はどこまで衰えているのだろう。

20代前半までは「知っているのに名前が出てこない」と言う年上の人の発言の意味が判らなかった。
知っているなら名前は出てくる筈だし、名前が出てこないのなら最初から覚えていないのでは? と感じていた。一度見聞したものは特に記憶しておこうと意識せずともいつでも自然に出てきた。
「絶対知っている筈の人の名前や作品名がとっさに出てこない」という現象が始まったのは25歳頃から。いまでは、もちろん、当時の年上の人の発言の意味はよく判る。

知っているのは間違いないが「名前」が入っている引き出しの場所がよく判らなくなっているような感覚。45歳頃からは年々悪化の一途で、いまや名前はすっと出てこない方が当たり前。1000%身についている筈の名前、例えば「原節子」「ロバート・デ・ニーロ」が出てこない事もあるし、普通の一般名詞、例えば「茶碗蒸し」が出てこない事さえある。本を読んでいても、読むそばから忘れていくので、読んでいる最中に「この人誰だっけ?」と思って前の方を読み返す事もしばしば。

名前は出てこなくても顔は浮かんでくるし、その人に対して感じている感情のようなものも浮かんでくる。結局「名前」や「作品名」、もっと言えば」「言葉」も単なる記号に過ぎない、という事なのだろう。記憶にまつわるエトセトラは、挙げていけばキリがない。記憶が全てだが、記憶ほど当てにならないものはない。

井上尚弥vsルイ・スネリ、井上がプロ初のダウンを喫して「もしかして!?」と思ったが、4Rあたりから完全に井上ペース。最後のダウン時のネリは、井上にやられた選手の毎度おなじみ戦意消失して「もう無理…」という表情。

※2024.05.06月

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