日々是雑感 2025/08/02土

■夢の砦(1983=小林信彦)新潮社 568頁
★文化社入社と退社の経緯はかなり丁寧に語れるが、表題が意味する所の出発点「遊びの会」に関しては、なんとなく始まって、なんとなく自然消滅したような印象。文化社の話はちゃんと名前がある登場人物と具体的な会話で語られるが「遊びの会」の話は、誰とどういう話をして具体的に動き出したのか、誰とどういう話をして活動停止(?)に至ったのか、一切語られていない。
★名前が与えられているメンバーは鈴鹿、戸波、井田。この誰とも「遊びの会」に関する話し合いをする描写はない。井田は一応メンバーに入れているが多分辰夫はわずかな年齢の差で同世代の仲間とはみなしていない。「遊びの会」に関する話は最初のヒロイン・暎子に寝物語で語った理想論があるだけ。
★「遊びの会」設立に至る具体的な経緯を語っていない理由はよく判らない。小林信彦自身が実際に同様の事を試みた事があり、誰がモデルか判るような書き方で具体的な言動を書くと何か支障があるのかもしれない。あるいは、20代の若者が抱きがちなこういう理想は必ず現実のビジネスに飲み込まれて消散するという事を寓話性を強める為にあえて匿名で曖昧に書いているかもしれない。
★アイディアは無限に湧いて来るというが、どういうアイディアがとういう記事や特集になったか具体的に語る描写はない。本物の拳銃を発射する瞬間の表紙に写真を使うのはデザイナーが出したアイディア。普段の会話が常にどこか面白いというわけでもない。
★暎子との最初のデートの会話(文庫版上巻P267〜)。「この暎子ってのはペンネームでしょう……本名はトキとかトメとかいうんでしょうが」というやりとりで〈暎子は笑いが止まらなくなった〉とあるが、文字面では笑いが止まらなくほど面白い事は言っていない(現実や映像作品なら「口調が面白い」という可能性はある)。このくだりは、辰夫に取り入って仕事を得たいと思っている暎子が笑っている演技をしていて、辰夫本人はそれに気づいていないように読める。
★金井が感心する辰夫のアイディア、無限に湧いてくるアイディアは本当に素晴らしいアイディアばかりだったのだろうか。もし辰夫の才能がまがいなき本物だとしたら、文化社をクビになっても出版/放送引く手あまたになりそうだがそうはならない。どれだけアイディアを持っていても、それを具体的に実現させる能力(人間関係構築能力を含む人間力)がないと成功しない、という事を語ろうとしている小説という読み方もできると思う。
★高校3年で初めて読んだ時は「大人の世界はいろいろあるんだなあ」と感じただけで上記のような深読みはせず、ストーリーより1960年代初頭の風俗描写を楽しんでいたと思う。1960年代初頭を舞台にした風俗小説として資料的価値も高い一級品なのは間違いない。
★文化社の部下の女性・竹宮と話をして一緒に浅草や人形町を歩くくだり(文庫版下巻P405〜)は、何度も読んでいるのに殆ど忘れていた。小説全体の流れからはどこか浮いているように感じられるこのパートが小林信彦が一番書きたかった部分ではないか、と想う。

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